頑張るのをやめます

どうも、ヒロキです。

私め、頑張るのをやめることにしました。

「え?いつも頑張っていない人が何言っちゃってんの?」

というツッコミはしないであげてくださいw

ここでいう”頑張る”とは、

「将来が心配だし、とりあえず何かスキル身につけるために頑張ろう」

とか、

「みんな一生懸命頑張っているんだから、僕も頑張らなきゃ」

といったような、自分の意思がほぼ介在しないような(自分軸ではなく他人軸による)頑張りのことです。

常に人目を気にして、頑張る必要がないのに頑張ってしまう、、

そんな僕の昔からの悪いクセを手放すきっかけになればと思い、この記事を書くことにしました。

頑張ることに疑問を抱いている方は1ミリくらい参考にしていただければ幸いです。

目次

頑張ることは悪いことではない

当記事の導入文から「頑張ることはよくない事なんじゃないか」って連想してしまいそうですが、、

まず誤解のないように言っておきますが、頑張ることは決して悪いことではないと思います。

例えば、自分の意思(親とか世間体とか一切関係なく)でどうしても行きたい大学があって、

その大学に入るために一生懸命勉強することは良いことだと思いますし、合格できれば心から「頑張って良かった」と思えるはずです。

他の例だと、どうしても欲しいものがあるけどお金が足りないってなった時も、

一生懸命稼いでやっと目的のものが買えた時、「頑張って良かった」と心から思えるはず。

このように自分の意思(自分軸)で何か得たいと思ったモノや体験のために頑張る、これはとても健全で良い頑張りだと僕は思います。

いやむしろ、そういうのって本人は頑張っているなんて1ミリも思っていなくて、むしろ楽しみながらやっているんじゃないでしょうかね。

ただ、同じ「頑張り」でも自分軸ではなく他人軸で突き動かされた「頑張り」は、最終的に自分を苦しめる可能性が高いと思っています。

頑張ることに疑問を持ち始めた

僕に関しての話をすると、少なくとも30代に入るまでは人並みに頑張ってきたつもりです。

大学は地元の国立大学に入ったし、就職も地元の大手自動車部品メーカーに入ったし、、

少なくとも頑張らなければここまでの人生を歩めなかったと思います。

もちろん努力することは大変だったし苦しいこともありましたが、今となっては頑張ってよかったなと思います。

(良い思い出になったという意味で)

ただ、これまでの人生を振り返ってみると、頑張ってきた理由のほとんどは「周りのため」だったような気がします。

国立大学に入ったのだって「国立入って親を楽させたい」「周りにすごいと言ってもらいたい」といった理由が大半だったし、就職に関してもほぼ同じ。

自分がここの大学、企業に入ってやりたいことがあるといった明確な目的など一切ありません。

ただ、周りの目を気にして世間体を守るために頑張ってきたといっても過言ではありません。

だからあるときふと思ったんです、、

「僕は一体、誰のために頑張ってきたんだろうか?」

って。

親のために頑張ったところで親が喜んでくれるのは一時的なもので、気づけば当たり前になっている。

周りからチヤホヤされるために頑張ったところで、チヤホヤされるのは一時的で気づけば誰もチヤホヤしてくれなくなる。

結局どれだけ頑張ったところで、得られる報酬は一時的なもので終わってしまう。

それなら頑張る意味なんてないんじゃないのか、、

誰かに褒められたい、チヤホヤされたいがために背伸びして欲しくもないものを買ったとしても、

誰も見向きもしてくれなかったら、じゃあ今持っているもの(頑張って得たもの)に何の価値があるのだろうか。

僕が今までしてきた頑張りとは、まさにこんな感じです。

ちょうど28歳の頃、僕はそのことに気づいて会社を辞めました。

まだ他人のために頑張ろうとしている自分がいる

会社を辞めてからワーホリビザで1年間ニュージーランドで生活しましたが、

その1年間はこれまでの人生と比べ物にならないくらい濃密で、楽しい時間でした。

現地での生活方針も全て自分の意思で決めて、時には頑張り、時にはトラブル続きと大変なこともあったけど、、

振り返ってみて本当に行って良かったなぁと思います。

自分の意思でがむしゃらに頑張ったのは、この時が初めてかもしれません。(英語勉強したり、仕事探し頑張ったり、海外の友達作ったりと)

ただ、日本に帰国してしばらくすると元の自分に戻っていました。

やはり環境というか日本の空気の力には逆らえません。

しばらく日本にいると、自然と

「仕事しなきゃ」

「スキル身につけなきゃ」

「自立しなきゃ」

「みんな頑張っているし、僕も頑張らなきゃ」

という思考になってくる。

いつの間にか周りの目を気にするようになり、やりたいことも「周りから見て良いこと」から選択するようになりました。

例えば、、

僕は昨年から旅行系のYouTubeを始めましたが、YouTubeを始めた理由の一つが「有名YouTuberになって経済的に自立したい」でした。

僕のプロフィールにも書いていますが、僕は今実家の財産で食わせてもらっています。

でも「いつまでも甘えるわけにはいかない」という罪悪感から、常々何かしなきゃ何かしなきゃと焦っていたんですね。

ブログはもともと好きでやっていたので難なく続けられるんですが、問題はブログでの収入がほぼないこと。

頑張ればブログで稼げなくもないですが(過去に最高月収20万円くらい稼いだ経験あり)、やってみてとても苦しかったし、

そもそも今は動画の時代で、ブログを読む人は割と少数派なのでブログでは限界があると思ったんですね。(大手も参入してきているのでより稼ぎ辛くなった)

一方で、動画ならブログよりもはるかに需要があるし、まだまだチャンスのある市場。

そう思いYouTube始めてみたんですが、、

動画編集自体は結構楽しいなと思ったんですけど、動画の再生数とかチャンネル登録者数という数字を追いかけることに徐々に違和感を感じ始めました。

そしてふと思ったんです。

「結局、YouTubeって誰のためにやっているんだろう?」

って。

大学受験や就活の時のように「親に喜んでもらいたい」「周りからチヤホヤされたい」という理由だけでやっているのではないか、って。

仮に有名YouTuberになったとしても得られる報酬は一時的なもの。

そう気づいた瞬間、頑張っても未来が明るくないことを悟りました。

頑張るのをやめます

いまだに他人軸で頑張ろうとしている自分に気づいたこのタイミングで、僕は宣言します。

もう、頑張るのはやめにします。

そのうちの一つ、YouTubeももう辞めます、、、

というのは嘘ですがw

そうではなく、有名YouTuberになろうとするのを辞めます。

有名YouTuberになるためには、よほどの才能がない限りは動画をひたすらアップするしかありません。

ただ、今の僕にはそこまでの情熱がありません。

なので、「心の底からやりたいと思った時」にだけ動画をアップすることにします。

多分、今後は動画の更新頻度が月1以下になるかと思います、、

もし、ブログの読者さんでYouTubeも観てますって方いましたら、、

せっかく楽しみに待っていてくれているのに、申し訳ありませんm(_ _)m

ただ、更新頻度は減る分、更新する動画に関しては魂を込めて編集するので、どうか超超超楽しみにしていてください!笑

あ、話を戻しまして、、

YouTubeに限らず、僕の人生全般において頑張るのをやめようと思います。

周りが頑張っているから、大変なんだから、

なんてどうでもいい。

「自分がどうしたいか」を常にモニタリングし、自分を最大限甘やかしながら生きていこうと思いますw

幸い、細々と生活する分ならお金には困っていないので、しばらく頑張って働く必要はないですしね。

もし仮に頑張ることがあるとするならば、それは心の底から何かしたいと思った時にだけ。

人間、やりたいことがある以上「頑張る」という行為を避けることはできません。

ただ、同じ「頑張る」でも心の底からやりたいことのために頑張ることは100倍楽しいと思っています(今までの経験上)。

なので今後はイヤイヤ「頑張る」を捨てて、楽しく「頑張る」を増やしていきたいと思います。

僕の長い長いお話は以上です。

最後まで読んでくれて、サンキューベリーマッチョ!

また次回の記事でお会いしましょう。

バーイ!

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この記事を書いた人

愛知出身の36歳独身男。28歳までは大学院→大手正社員と順調でしたが、通勤ラッシュや人間関係のしがらみが嫌になり退職。それからはニュージーランドでワーホリしたり、日本各地で季節労働したり、今は無職のブロガーやYouTuberやりながら好きに生きています。やりたくないことは頑張らずにゆる〜く生きる、そんな僕の生き様をブログで発信しています。

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