どうも、初めまして。
当ブログ管理人の小林宏紀(ヒロキ)と申します。
現在34歳の独身ですw
ここでは、僕のプロフィールを詳しくご紹介します。
まずは僕の性格や趣味について。
性格は人見知りで、初対面の人にはかなり気を遣いますが、打ち解けると性格が変わったように積極的になったり、変顔したりしますw(こんな風に↓)

割と飽き性ですが、一度ハマるととことんやり込みます。
何かをやり込む際、つい熱くなりすぎて怒りっぽくなるところが弱点。
コツコツと積み上げていくことが好き(日々成長を感じられるので)。
最近の趣味は旅行(食べ物、温泉がメイン)、プログラミング(Ruby on Rails)、音ゲー(ギタフリ)、アニメ、カフェ巡りですが、一昔前は登山、ボウリング、スキーなど割とアウトドアなこともやっていました。(きっかけがあればまたやりたい)
名古屋の大須商店街が好きで、よく出没しますw
続いて、僕の経歴をザックリと紹介します。
- 1988年 愛知県春日井市に生まれる(サボテンと書道が有名な街)
- 2007年 名古屋の某国立工業大学に入学
- 2011年 同大学の大学院に進学
- 2013年 愛知の某大手自動車部品メーカーに就職
- 2015年 仕事が嫌になり、12月に会社を退職
- 2016年 ワーホリでニュージーランドへ行く(旅したり季節労働したり)
- 2016年 ワードプレスで趣味ブログを始める
- 2017年 1年3ヶ月のNZワーホリから帰国
- 2017年 日本で季節労働を始める(北は北海道、南は沖縄まで各地を転々と、、)
- 2019年 2016年に始めた趣味ブログの最高月収が25万円に到達する
- 2020年 コロナでブログが吹っ飛んで収入激減。
- 2022年 このままでいいのか悩み始め、気持ちを整理するため過去ブログの全削除。季節労働もやめて一旦無職になる
- 2022年〜現在 なんとなく始めたプログラミング(Ruby on Rails)にハマる。Railsに特化したテック系ブログ(当ブログ)を始める。
まぁ、こんな感じで波瀾万丈な人生を送っていますw
ちなみに、当ブログでは広告を貼るつもりはない(ブログデザインの都合によりAmazon、楽天リンクだけ貼らせてもらっています)ので、広告収入はゼロ。
つまり、事実上は完全に無職ですw
じゃあどうやって生活しているかって?
正直に言うと、先祖代々引き継いでくれた土地や財産で食い繋いでいます(割とお金には余裕がある家庭です)。
つまり、親(先祖)のスネかじって生きていますw(ドヤっ!!)
こんな自堕落な生活を送っている僕ですが、僕は僕なりにあるポリシーを持って生きています。
それは、「絶対に嫌なことはやらない」ということです。
親や親戚、友達、世間など周りの目を気にして、やりたくもない仕事を我慢してやらない。
幸い僕には「ご先祖様が残してくれた財産」と言う、人生攻略のための強力なアイテムがあるので、
人生を全クリするために、使えるアイテムは遠慮なく使っていこうと思っています。
さて、そんな自由奔放な僕ですが、一昔前まではガチガチの常識人間(?)で、まさに「普通オブ普通」の人生を送っていました。
「将来は就職して立派な大人になるべきだ」
「仕事は定年まで続けるべきだ」
「結婚して家庭を作ってこそ立派な大人だ」
そんなことを本気で思っていたほどです。
そんな普通の人生から脱却した大きなターニングポイントは、間違いなくニュージーランドでのワーキングホリデー(通称ワーホリ)生活でした。
ワーホリで大きく変わった人生の価値観

2016年1月11日、僕はワーホリのためニュージーランドに飛び立ちました。
(ワーキングホリデーは1年間海外で仕事、留学、旅行などができるビザ。年齢制限があり、大体の国では30歳まで。条件により延長可能。)
そもそも何で会社を辞めてワーホリをしたのか、話すと長くなるので簡潔に言いますとですね、
- 純粋に週5日も仕事するのが嫌だった
- 上司や先輩の顔色を伺いながら生きるのが嫌だった
- このまま一生会社員人生を送るのが嫌だった
- 若いうちにしかできないことをやってみたかった
- せっかく一度きりの人生だし冒険してみたかった
からです、以上w
まぁ、一番の理由は仕事が嫌だったからなんですがw
会社員3年目のゴールデンウィーク明けに鬱になりかけましたからね。
もうね、死にたいって思うほど病んでいたんですが、「どうせ死ぬなら会社辞めて海外逃亡でもしてみる?」と開き直ったんですよ。
今思えば、これがワーホリ行くきっかけになったのかもしれません。
それからしばらくして会社を辞めて(冬のボーナスしっかりもらって退職w)、前述の通り2016年にニュージーランドに飛び立ったわけです。
ニュージーランドでは実に様々なことを体験しました。
- ニュージーランド人宅でホームステイ
- 季節労働(キウイフルーツの箱詰め、チェリーピッキング、チェリーの選果、ブルーベリーピッキングなど)
- ニュージーランドを車で一周
- スカイダイビング
- NZのグレートウォークをトレッキング(4箇所)
車がぶっ壊れたり、ちょっとした差別に遭ったり、仕事中に目を怪我(結膜が剥がれる)するなどトラブルもたくさんありましたが、思い返せば本当に楽しい1年3ヶ月間でした。
そして、僕はこのワーホリ中に価値観が大きく変わりました。
- 環境次第で仕事はとても楽しい
- 好きな時に仕事して、好きな時に遊べばいい
特に仕事に対する価値観は大きく変わりましたね。
今までは「仕事=嫌なもの」と思い込んでいましたが、ニュージーランドで仕事してみたら思った以上に楽しかった。
英語があまり話せなかったので言語面では苦労しましたが、それでも日本にはないような緩い雰囲気、職場の人間関係の良さなどが相まって仕事へ行くのが毎日楽しみと思うほどでした。

それに、期間限定の季節労働をメインにやっていたこともあり、好きな時に働いて好きな時に遊ぶというライフスタイルがすっかり定着。
日本にいたときは「社会人になったら週5日仕事して当たり前」「長期休暇はGW、お盆、正月のみ」と思っていましたが、ワーホリしてみて「こんな生き方もありなんじゃないか」って思ったんですね。
自分の中で新たなライフスタイルの選択肢が増えた瞬間でした。
帰国後にフリーターになった(就職しなかった)のも、日本でも「好きな時に仕事して、好きな時に遊ぶ」というワーホリのようなライフスタイルを送りたかったからです。
仕事をする目的・理由がわからなくなり無職になる
ワーホリから帰国したのが2017年4月。
それからしばらくはフリーター兼ブロガーとして生きてきました。
フリーターとしての仕事は実に様々で、福岡の自動車工場で期間工として働いてみたり、沖縄の精糖工場で働いてみたり、愛媛でみかんの収穫・選果の仕事をしてみたり。
2021年末までの約5年半、日本全国の仕事(主に季節労働)を転々としたり旅したりと、まさに日本版のワーホリ生活を送っていました。
正直、ニュージーランドでのワーホリ生活の方が圧倒的に楽しかったのですが、日本でのワーホリ生活も十分楽しかったと思います。
少なくとも、会社員時代よりは遥かに充実して楽しかったと言える自身があるw
しかし、2022年に入ってまもなくのこと。
もう日本版ワーホリ生活(フリーター)には飽きてきたので別の生き方がしたいと思うようになったのと、なぜか理由もなく不安を感じるようになりました。
最初は、
「このままフリーター生活を続けていて大丈夫なのだろうか」
「将来食いっぱぐれないだろうか」
といった不安が湧き出てきました。
なので、今のうちに将来食っていけるようなスキルを身につけようと考え始めました。
そのうちの一つがプログラミング。
今から勉強してエンジニアとして就職すれば、将来きっと困らないだろう。
そういう理由でプログラミングの勉強を始めてみました。
しかし、どうもしっくりこない。
そもそも、自分がなんで仕事をしようとしているのかわからない。
「将来の不安のため?」
「お金がないから?」
「親や周りから言われたから?」
頭の中がごちゃごちゃになり、自分は本当はどうなりたいのか、何がしたいのかが分からなくなり、毎日漠然とした不安を感じながら過ごしてきました。
結局どうしていいか分からなくなり、完全に身動きが取れなくなってしまった僕はある決心をしました。
それは、全てを捨てて、しばらく何もしない
という決心。
自分の気持ちを整理するため、今まで築き上げてきたブログ(約500記事)を全て削除し、家の中も断捨離し、仕事も完全に断ち切り無職になりました。
そして、金銭面は全て親(というか先祖が残した財産)に頼ることにしました。
(今までは親に頼ってはいけないという常識やプライドがあったが、それすら捨てて遠慮なく頼ることにした)
別に今後一生仕事したくないわけではありません。
むしろ暇すぎて「何か仕事したい」と思うこともしばしばありますw
ただ、今はやりたいと思える仕事がないのと、「何もしなくても生きてていいんだよ」という価値観を刷り込むために無職を貫いていますw

もし今後、やりたいと思える仕事、面白そうな仕事があれば積極的にやっていきたいと思っています。
(全てはブログのネタにするためにw)
仕事をしていない(無職の)自分にも価値があると分かった
世間ではよく、無職(ニート、引きこもり)の人のことを「社会のお荷物」とか言うじゃないですか。
実際、一昔前の僕もそう思っていたので人のことは言えませんが、いざ自分が無職の立場になってみて気づいたことがあるわけです。
それは、別に仕事しようが仕事していなかろうが(何もしていなくても)自分には価値あるんじゃね?ってことに。
想像してみたわけですよ、もし仮に僕が死んでしまったら、ってね。
そしたら、当然親や祖父母が悲しみます。
兄妹やいとこが悲しみます。
そして、もしかしたら友達が悲しんでくれるかもしれません。(僕にはほとんど友達がいませんがw)
これをあなたの場合に置き換えてみて欲しいんですが、
いくらその時に親や周りが「役立たず!」って言ってきたとしても、いざあなたが死んでしまったら特に親はすごく悲しむわけじゃないですか。
「役に立たなくてもいいから生きててほしかった」って。
(少なくともこの世で1人でもいいから悲しんでくれる人がいる、と言う前提で話しています)
親って子供が生まれた時、寝ている姿を見るだけで幸せだったはずじゃないですか。
それだけで存在価値を認めてもらえていたはずなのに、なぜ成長とともに価値が失われる必要があるのでしょうか。
たとえ僕が34歳にもなって働かずに家にこもってアニメ観たり音ゲー(ギタフリ)ばかりやっていたとしてもw、たとえ親のスネを齧りまくったとしても、
僕が生きていてくれるだけで親にとってはものすごい価値があると思うんですね(親本人に聞いてみたので間違いないです)。
だから、親の期待に応えるために「何か仕事しなきゃ」「もっと立派にならなきゃ」とか思わなくていいと思ったんですね。
他人を傷つけない(不幸にしない)範囲であれば、
別に僕は僕のまま存在していばそれでいい、生きてさえいればそれでいい。
最近ようやくそのことが腑に落ちてきました。
僕の「人生の実験結果」をブログで発信したい
まぁ、何が言いたいかって言うと、僕は世間の常識にとらわれずに好きなように生きます!っていう宣言がしたかっただけですw
もちろん、僕には先祖が残してくれた財産という強力なアイテムがあるわけで、これらの膨大なリソースが使える前提での「好きなように生きる」なのですが、
だからといって人目を気にして使うことを遠慮するつもりは一切ありません。
人生攻略で使えるアイテムはバンバン使う。
んで、結局何が言いたいかっていうと、僕が僕の人生を好き勝手自由に生きた結果どうなるのか?っていう、ある意味人生の実験結果をブログで発信したいということです。
普通の人にはできないことをやってみて、その結果をブログに書き残していったら、いつかブログを読み返した時にとても面白いコンテンツになるんじゃないかって思ったんですよね。
なので、今後はより面白いコンテンツを作っていくために、使えるリソースはバンバン使って経験に投資しまくっていきたいと思っています。