どうも、ヒロキです。
ただいま、タイのチェンマイで1人寂しく暇を持て余しておりますw
誰か構ってくれ〜せめて一緒に飯でも〜(←心の声w)
さて、今回はちょっと僕の生き方についてお話ししようと思います。
35歳独身、無職ブロガーのしょーもない話なので、
「暇で暇でしょうがないぜ」
「ヒロキの記事を読みたくて夜も眠れねぇぜ」
っていう方はどうぞw
嫌なこと一生続けて安泰に生きるか、それとも冒険して野垂れ死ぬか
このように、もし究極の2択を迫られた場合、
あなたならどちらを選びますか?
おそらく大半の人は死ぬのを恐れて前者を選択するのではないでしょうか。
かくいう僕も、
28歳になるまでの頃なら前者「嫌なこと一生続けて安泰に生きる」という道を選択したと思います。
死ぬなんてごめんだからね。
でも、今はどうか?
僕は自信を持って後者「冒険して野垂れ死ぬ」方を選びます。
なぜか。
ズバリ言ってしまうと、
もう人生でやりたいと思ったことはほぼほぼやってきたので、もし明日死んだとしてもあまり思い残すことがないからです。
こんなこと言うと、いつ死んでも文句ないように聞こえますが、
別に積極的に死ににいきたいわけじゃありません。(自◯願望があるわけでは決してない)
僕が人生大きな賭けに出た結果、
最悪野垂れ死ぬことになったとしても、
その結果を甘んじて受け入れる。
ただそれだけです。
「嫌なこと一生続けて安泰に生きる」を選択しない理由
どれだけ頑張って成功したとしても、人間いつかは死ぬ。
そんな事実を目の当たりにしようとしているからです。
つい1ヶ月前のこと、うちのじいちゃん(89歳)が病気で倒れました。
救急車で運ばれしばらく入院しましたが、医師曰くもう長くないとのこと。
持って2ヶ月くらいだろうと。
うちのじいちゃんは、まさに「嫌なこと一生続けて安泰に生きる」を体現した1人でした。
昔の話を聞く限り、小林家には色々と問題があり、
特にお金絡みのトラブルが絶えなかったと言います。
そういう経緯もあってか、うちのじいちゃんはかなり保守的になり、
まぁストレートに言ってしまうと、お金に関しては相当ドケチです。
ただ、そのおかげで家族(僕を含む)が裕福に暮らせているのも事実です。
仕事も工場勤務でしたが、冒険せずに地道に貯蓄し、
投資信託やアパート経営などで着実に財産を増やし、
今では、質素に暮らせば一生お金に困らないくらいにはなったと思います。
側から見たら(近所とかから)妬まれるくらいには小金持ちなので、
うちのじいちゃんは一種の成功者なのかもしれません。
しかし、うちのじいちゃんは子供の頃からお金に困ったり、
お金由来の人間関係トラブルを経験してきたせいか、
いくらお金があっても、お金がなくなることへの不安が消えることはありませんでした。
それゆえ、病気になって入院するまで頑なにお金を使わない生き方をしていました。
じいちゃんは今、病院のベッドの上で管に繋がれ、点滴のみの生活を続けています。
もう食べる力が残っていないそうです。
僕はその事実を目の当たりにして思ったんです。
「いくら努力して成功したとしても、もし『あの時もっと色々やっておけばよかった』という後悔があるならば、これほど報われないことはない」
と。
もちろん、うちのじいちゃんが病院のベッドの上で、どんな気持ちで過ごしているのかは分かりません。
ただ、もし僕が同じ立場だとしたら、間違いなく「もっと冒険しておけばよかった」と後悔するでしょう。
死んでしまったら、お金はあの世に持っていけません。
持っていけるものがあるなら、それは経験(思い出)だけです。
だとしたら、最後の最後にお金だけ残しても何の意味もないわけです。
どうせ経験しか持っていけないのなら、
もっといろんなことチャレンジして、もし最後に失敗してしまったとしても、
死ぬ直前に「楽しかったなぁ」と思える人生にしたい。
僕はそう思いました。
僕はじいちゃんから見たらまだまだ若いですが、
僕とていつ死ぬかは分かりません。
数十年後かもしれないし、数年後かもしれないし、
もしかしたら数ヶ月後、数日後かもしれない。
なんなら今日かもしれない。
だから、僕はいつ死んでも後悔しないよう、
やりたいことはやりたい時にやりまくる、と決めました。
もし、その結果野垂れ死ぬことになったとしても、
死ぬ瞬間に「なんだかんだ、楽しかったなぁ」と思えたら最高じゃないですか。
僕が “生きる” 理由
さっきも言いましたが、
僕は人生やりたいことをほぼほぼやってきたつもりなので、
もし明日地球が滅亡して死ぬことになったとしても、後悔はありません。
(あ、でも最後にもう1人くらい彼女は欲しかったw)
つまり、生きることにあまり執着していません。
とはいえ、今死ぬわけにはいかない理由が1つだけあります。
それは、「自分が死ぬと、親が悲しむから」です。
生きることに執着がないとはいえ、親の悲しむ姿は見たくないし想像したくもありません。
もし仮に自分が先に逝ってしまったら、おそらく「親を悲しませてしまった」という後悔が強く残ると思います。
それだけは避けたい。
せめて、親が先に逝くまでは生き抜こう、
と言うのが原動力となり、僕は今生きています。
っとまぁ、ここまで長くなりましたが、
僕のどうでもいい話に最後までお付き合いただいた方、
サンキューベリーマッチョ!
(雰囲気ぶち壊しw)
また暇な時に(いつでも暇ですがw)テキトーにブログ書くので、
お楽しみに。
ではでは〜。
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